半年間声を失った私を支えてくれたもの

事件翌日はいつも通りに登校した。
今思えばだけど、学校を休ませてカウンセリングとか連れてってほしかったなぁ。
登校すると、クラスがざわついていて何故か学年全体が事件のことを知っていた。
先生と親友だと思ってた子が喋ったみたい。
私の心はズタズタなのに心配というよりも好奇心でアレコレ聞いてくる人ばっかり。
人の気持ちなんて考えられないんだろうね。
まあ、中学生の脳みそなんてそんなもんか。
全然大丈夫じゃないのに「大丈夫だよ」って無理して笑って答えてた。
性犯罪の被害者なはずなのに守ってくれるどころか攻撃されっぱなし。
家族も先生も友達も誰も私を守ってくれる人はいなかった。
好奇の目で見られることが苦しかった。
心配されたくなくて、もう事件のことは言いたくなくていつものように振舞おうとして笑っていた。
1週間くらいの間、クラスにいても部活に行ってもその状態が続いた。
(あと何回忌々しい記憶を掘り起こして人に話さなければならないのだろう?)
地獄のような日々だったけど、時間の経過とともに少しずつ風化して誰もその話をしなくなった。
でもね、
私の心は壊れたままだった。
壊れてるのに更にグチャクチャにされてぽーんって放置された状態。
学校で無理して笑って取り繕って、家に帰ると抜け殻になっていた。
半年ほど家で喋ることができず頷くか首を横に振るだけ。
どうしても喋らなければならない時はボソボソ喋ってた。
最初の数日はそれでも良かったんだけど、日に日に母はその態度に苛立つようになり喋らない私に向かって怒鳴り散らすようになった。
「いつまでそうやってやってんのよ?!」
「お金が必要な時だけ喋ってきて!!」
そう言われましても、こちとら精神崩壊してるのです。
事件が起こってから何一つメンタルケアがなされなかったので悪化する一方だった。
記憶が曖昧だけど、、
夏とか秋とか・・・・それくらい?
曖昧というか全く覚えていない。
兄1がイギリスに留学した。
当時、兄1は良き理解者だったので彼がいなくなってしまうのはとても辛かった。
兄1が旅立ってすぐのこと、父が酒に酔っている時に話してくれた。
「しおりが心配。俺がいなくなってから大丈夫かな?」
って旅立つまで空港でずっと言ってたんだって。
それを聞いて泣いた。
兄1が週に一度、イギリスから近況報告のメールを送ってくれるのが楽しみだった。
「イギリスに来てイモばっか食ってます」
「飯が不味い」
「ホストファミリーがおかしい」
そんな他愛もない数行のメールだったけど私の心の支えになっていた。
時には日本には売ってないお菓子を送ってくれた。
北海道の田舎に住んでいたから、当時輸入菓子を見ることもなかったのでとてもワクワクした。
兄1は音楽が好きだったので、彼が置いていったCDを聞くことも多かったな。
aiko,m-flo,Heartsdales,DOUBLE,加藤ミリヤ,three nation
生き地獄のような日々の中で兄1の存在が支えだった。
あの事件以来、男の人が怖くなった。
道ですれ違う時は心臓が飛び出しそうなくらいドキドキしたし、恐怖を感じた。
・・・と、同時に自分が人間だと思えなくなっていた。
自分自身を汚いボロ雑巾みたいなものだと思っていた。
どうにでもなればいい。
こんな身体なんかどうなったっていい。
それまで友達と回し食べ、回し飲みをするのは平気だったのに自分が汚いと思い始めてから出来なくなった。
汚れちゃうから口をつけられないってね。
スーパーでコスモスの種を買った。
玄関先で育ててて、花が咲いたんだけどすぐに枯れちゃった。
その頃書いていた日記に
コスモスの花が咲きました。
そう書いたことだけはっきり覚えている。
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